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【コラム】

アフガン便り(2)―マザリシャリフの夜は更けて―

 清水建二

皆様に「アフガン便り」第2号をお届けします。
今回の4度目になる私のアフガニスタン行きは、昨年後半から主として当地の安全状況の理由により派遣見合わせとなり、延び延びとなっていたのですが、ようやく今年になってから派遣が再開されたため、3月8日に成田発、昨年と同じ北京経由のパキスタン航空にて同日夜おそくイスラマバードに着き一泊後、翌9日にAir Serv という会社の小型セスナ機にてカブール入りしました。
今回は、緒方貞子・現JICA(Japan International Cooperation Agency=独立行政法人・国際協力機構)理事長の提言「緒方イニシアティブ」(当時は総理特別代表)による地方展開のため、同国北部の要衝マザリシャリフに初めてJICAプロジェクトを立ち上げることになり、同市の学校・水・道路等の内、私は道路整備分野で先陣を切ることになりました。
業務内容も、これまでのような「調査」のみではなく、日本側のコンサルタントやゼネコンが外交諸手続きや入札・契約等の後に現地へ乗り込んでくるまでには2〜3ヶ月かかるため、それまでの「つなぎ」として当地の作業員を直接雇用して「現場監督」をやって欲しいとのことで、私としては久し振りの現場稼業に興奮しています。特に、日本でも35〜40年位までやっていた、未舗装道路の防塵処理工法(寒冷期の融雪・凍結防止工法を兼ねる)を同国内で紹介し、リバイバルさせる絶好の機会となりそうです。同時に塩化カルシウム、塩化マグネシウム(にがり)、塩化カリウム、塩化ナトリウム(塩)等の塩化化合物を取り扱っている日本国内のソーダ工業界に需要
促進の機会を提供して、何らかの不況対策となれないかとひそかな期待をしています。


今回私は、カブールに2泊してJICA事務所にて打ち合わせ後、3/11にAir Serv社の小型セスナ機で空路マザリシャリフへ来ました。同市は、北部の中心都市として旧ソ連領のウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン等に近く、特に緊急時の陸路による退避経路としてはウズベキスタンへの経路が想定されており、通常同市滞在の日本人全員(JICA3名+NGO2団体6〜7名)が同国の入国査証取得を義務付けされる予定です。かつて田中真紀子VS鈴木宗男の1件でマスコミをにぎわした日本の大手NGO「ピースウインズ・ジャパン」が同市周辺で活動しているため、そのノウハウと経験を活用すべくJICAとの連携プロジェクトを打診しましたが、人的な余力が無いとのことで断られてしまいました。今回当地での私の宿舎は、UNICA(United Nations InternationalCommunityAssociation) Guest Houseという所で、国連を始めとする各種国際機関や援助団体等の関係者にのみ提供される宿泊施設です。従ってその施設やサービスは昨年私がカブールで利用した見るからにがめつそうなアフガン人のおばさんが経営する民間のゲストハウスに比べると格段に良く、毎日の3度の食事時や夕方のバーで各国から来た人達と談笑できる楽しさがあります。発電機も大型のものが設置されているのか部屋の中も明るく、トイレやシャワーも問題がないようです。シャワーも途中でお湯が途切れることなく使用でき、今回も持ってきた泡状のドライシャンプーの出番はあまりなさそうです。食事も豪華なインターナショナル・フードで、宿泊代35ドルの外、朝食3ドル、昼・夕食各6ドルで、3食共宿舎で取った場合は50ドル/日と格安です。洗濯は、下着類は無料、上着類は1件当たり0.50ドルです。


昨年の同時期に2ヶ月間の滞在を終えて帰国した際には、無理なダイエットのせいか一時期毎日の通勤時の地下鉄の階段の上り下りにもきつさを感じたほどでしたので、今回は「ほどほどの」ダイエットと当地でのシンプル・ライフや現場稼業を楽しみ、さらなる生活習慣病の「先送り」を図りたいと思います。まだ日本から来て間もないせいか、4時間半の時差で夕方になると眠くなり、さらに7時からの夕食時に隣室のバーで購入する1本1.50ドルのウズベキスタン製ビールが良く効いて、食後の若干の雑談後はすぐ部屋に引き揚げて8時半か9時頃には就寝する毎日です。このため真夜中の2〜3時頃には目が覚めてしまい、その後はなかなか眠れずマザリシャリフの暗くて長い夜を悶々として朝が来るまで待つという状態が続いています。日本だとすぐに起きて、焼酎を飲みながら深夜テレビ映画を見たり新聞を読んだりするのですが、ここではそうもいかずひたすら物思うことのみ多い「マザリシャ
リフの夜は更けて」です。3/12は初めての金曜日で当地では休日でしたが、運転手に出てもらい10時すぎに宿舎をスタートして市内道路網の視察を開始しました。宿舎での昼食時に、通常金曜日の午後は市内でブスカシがあるので今日もあるかも知れないという話があり、早速午後から市の南外れにある広場に直行しました。ブスカシとは、数十人の男達が馬に乗って子牛の死体を取り合って円形のサークルにタッチダウンするという、いわば子牛の死体をボールに見立てたようなアフガニスタンの伝統競技です。ブスカシは、中央アジアに起源を持つアフガニスタンの国技ですが、本来は「山羊を引く」という意味で、2組に分かれた騎馬のチームが子牛又は子羊の頭を相手方のゴールへ押し込む競技です。広場に行ってみると、多分風が強いとの天候上の理由で中止になったらしく、代わりに4〜5頭の着飾った大きなラクダがいて、これからラクダのファイティングが行われるとのことで、私
は次の用件へ向かいました。


3/14の日曜日は通常どおり6時起床、7時から朝食(ジュース1杯、ナン2切れ、オムレツ、コーヒー2杯)、8時から出勤して市内のJICA仮事務所へ行き、JICAスタッフ1名とアフガン人英語通訳と共に2台のランクルでコンボイを組んで分乗し、車両無線機をテストしながら9時にスタートしてウズベキスタン国境へと向かいました。国境の町ハイラトンまでは3角形の2辺を走る形で82Km、所要時間1時間半ですが、直線距離ではその半分位です。
国境付近に散在する家並みは、アフガニスタンに一般的に見られる土造りの家と異なり、スレート屋根やコンクリート・ブロックやレンガ壁等で造られた何となくロシア風の寒村といったたたずまいを見せてくれます。道路脇を歩いて小学校から集団下校中の女の子達もスラブ系の白人の姿が多く目立ちます。


ハイラトンからウズベキスタン側の町ティルミズまでは、国境を流れるアムダリア川にかかる10径間、長さ約00Mの橋を渡って、約15Kmの距離があります。このアムダリア川は、はるか東方の中国・タジキスタン国境付近のパミール高原に源流を発して、タジキスタン〜ウズベキスタンとアフガニスタン間の国境を流れ、やがてトルクメニスタン〜ウズベキスタン国内を北上して、ウズベキスタン・カザフスタン国境に位置するアラル海に注ぐ国際河川です。


さて再度マザリシャリフに引き返して、この北部の要衝の町をご案内しましょう。
マザリシャリフの人口は、一説に100万さらには200万人とも言われていますが、どう見ても100万人以下ではないかというのが定説です。しかし国内第2と言われる南部の拠点都市カンダハールよりも、こちらの方が街の規模や人口といった面で上ではないかというのが私達日本人の間での共通認識です。
当市に着いた日にすぐ気付いたことは、はるかジンギスカンの時代に蒙古族が当地方を征服した時の末裔である東洋系の顔立ちをしたハザラ人の人口比率がカブールやカンダハールに比べてかなり高いということです。彼らは、かつての侵略の経緯かあるいはその東洋系の風貌に対する根強い蔑視の感情があるせいか、歴史的に迫害や差別を受けており現在に至るまでそれは続いているようです。しかし私達日本人からすれば彼等に最も親しみを感じるのは極めて当然のことです。食生活については、当地に来て間もないためなるべく3回共ゲストハウスで食べるように心がけているため、まだローカル食堂での常食は開始していないので、実情は良く分かりません。しかし国内全土と同様にカバブという羊肉・牛肉・鶏肉の串焼きとナンという西アジアから中近東特有のパンが基本です。但しここのナンは、カブールやカンダハール等で一般的な薄く平たく長方形状の洗濯板のように引き延ばして、釜の内側に貼り付けて焼いたものではなく、円形で周囲がこんもりと盛り上がったもので形状も味もよりパンに近い感じです。ウズベキスタン風のパンだということです。今回私は、北部に行くことになったため、昨年カブール市内で買い求めたあのカルザイ大統領が被っているロシア風の丈の高い帽子を被って来ましたが、当市内の男性が着用しているのは圧倒的にターバンでその巻き方や色はまちまちです。また部族を問わず着用しているようです。次に多いのがあのイスラム圏に多くよく映画等で見られる白い円筒形の帽子です。ずっと少なくなって2001.9.11.同時テロ事件の直前に自爆テロによって暗殺されたタジク系の英雄・故マス−ド将軍が被っていたベレ−帽を均一に丸くしたような茶色系統のものです。残念ながら私がわざわざ日本から被って行った「カルザイ帽」は今のところ私1人だけで、当初の目論見とはうらはらに市内ではかえって目立つ存在となっています。さらに出発前にさんざん探したあげく、ようやくある人の協力で東急ハンズ・池袋店2Fのバラエティ・グッヅ及び変装小物売場で買い求めた付け髭は、東京・市ヶ谷にて「記念撮影」用に試着したものの、かなり「うそっぽい」感じがするため当地ではまだ「着用」を見合わせています。当地にもう少し慣れて、特に「現場監督」業を始めた際には本格的な「出番」となりそうです。また成人女性が頭からすっぽりと被るマント状のブルカは、カブールでは青色一色で、カンダハールでは比較的黒が多かったと記憶していますが、ここでは白と青とが半々か若干白が多いようです。


ここアフガニスタンは、皆さんも新聞等でご存知のように、各地に軍閥と呼ばれる「親分」が群雄割拠していて、非力なアメリカ帰りの新生カルザイ政権の威光が及ばないようですが、ここマザリシャリフでは以前からウズベキ系のドスタム将軍とタジク系のアタ将軍の二大勢力が、まるで山口組対住吉連合よろしく縄張り争いを繰り広げていますが、あまり市民社会の「カタギ」の世界には被害は及んではいないようです。
この国も日本の中古車がそのまま社名や広告を描いたままの状態で走っていますが、昨年の同時期にカブールの公共事業省に在勤中市内で何度か「志布志湾・大黒」のマイクロバスが路線バスとして走っているのをみかけました。そのときは残念ながらたまたま手持ちのカメラが故障してしまい「証拠」写真をとることができませんでした。今回は4/20にマザリシャリフからカブールに帰任し、4/22に同地発、イスラマバードで北京経由の夜行便で発ち、4/23に成田着の予定ですので、カブール滞在のわずかな間に何とか「志布志湾・大黒」のマイクロバスに遭遇して「証拠」写真を取って帰りたいと思います。
従って今回は5月中旬頃に予想される在京義友会(旧制都城中学、旧制都城高等女学
校、都城泉ヶ丘高校同窓会)総会には何とか出席できそうです。皆様とお会いできる
のを楽しみにしています。


まだ前回の「アフガン便り(1)―カブールに雨が降る―」で皆様にお約束したアガニスタンの文化(特にイスラム教)、人々の生活(特に食生活)、全国に約150万人いると言われるクーチという遊牧民族の実情等をご報告できていませんが、次回以降とさせていただきます。特に遊牧民族クーチの暮らしの中に立ち入る機会は極めて困難かと思いますが、粘り強く機会の到来を待ちます。


最後に皆様方の益々のご健勝とご活躍を、はるかアフガニスタン北部の要衝マザリシャリフよりお祈りいたします。

 
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